2008年10月28日

豊橋鉄道

toyotetu高校生の頃(40年前)の話です。農業高校だったので「家業手伝いのため」との早退届を出せば、問題なくそれが可能であった。自筆ではバレるので、悪友に代筆をお願いして事なきを得ていた。その頃見た米映画ブリットでスティーヴ・マックィーンフォード・マスタングGT390によるカー・アクションは未だに印象深く、その種の映画が好きなのはここから来ているのかもしれない。しかしそのマスタング(日本ではムスタング)を「高校生のおもちゃ」と誇張広告を出しているのには驚いてしまった。日本ではマイカーはまだ夢のまた夢の時代、アメリカってどんな国?と思ったものです。移動手段といえば電車やバスが主であった時代に、高校生が車を乗り回すなんて、しかもガールフレンドを助手席に乗せて・・・・・・いつか俺も・・・・


2008年10月25日

自動車事故

jiko29人の乗ったマイクロバスが、交通検問に合った。某会社のゴルフコンペの帰りで、運転手を含めて全員若干のアルコールが入っていた。道路交通法が改正されたばかりで、取締りの警察官も気合が入っていたと思う。運転手は酒気帯び運転、同乗者は同ほう助の容疑で罰金刑となった。
嘘か誠か改正直後に良く聞いた話である。その効果もあって、最近の酒気帯び及び飲酒運転は激減したと言う。確かに罰金30万円は財布に響く。しかも一網打尽で870万円は、聞くも恐ろしい額である。
違反者の減ったことより、違反による重大事故の起きる可能性の減ったことを喜ぶべきであろう。
この違反と並んで多い事故が、スピード超過がある。特に雨降りの滑りやすい路面での速度超過は写真のような重大事故となりかねない要因を含んでいる。キングピン一本で連結されたトレーラーの場合、ジャックナイフと言う特殊な現象が発生することもあり、慎重な操作をお願いします。


2008年10月19日

冷害と米不足

engai籾の数が決定する時期(幼穂形成期)から開花期にあたる夏場に、20℃を下回ると冷害になる可能性が高くなってくる。
その典型的な年が平成の米騒動とまで言われた、1993年の冷夏でしょう。
結果この年の全国の作況指数が74となり、当時1000万トンの米需要に対して、800万トンの収穫量であった、当然米価は上がり、米に関係の無かった業者までが販売や流通に関与していた。当時は食糧管理制度があり、政府により米は管理されている中、当時家電製品の安売りで名をはせた城南電機の社長宮路年雄がヤミ米の取り扱いで行政指導を受けたが、それは氷山の一角で他にも多くの闇業者が暗躍したと思われる。
小生の20代の頃は、米の消費量1200万トンと、緊急時の備蓄米として800万トンの米が必要とされていた。その後の高度成長で、動物蛋白質の需要が高まり穀物への食料依存度が低下して現在では800万トンくらいの消費でしょか?
その後、ウルグアイ・ラウンドミニマム・アクセスで米の輸入は一部自由化となった。
工業立国としての日本は、その見返りとして食糧を輸入しなければならない事態は、アメリカを先頭にする先進国を筆頭に、アジア諸国の低開発国になればそれしか見返りを求めることが出来ないのが実態でしょう。
細川内閣が決断したこの政策は表向き「食糧法の施行により、農家が自由に米などの作物を販売出来るようになった。これはその後の米輸入解禁に備え、あらかじめ自由に米を流通させることで日本国内の農家の競争力・対応力の向上を目指したものである。」としているが、立法後13年経過した現在でも、農家の販売力は限りなくゼロに近いと言っても過言ではないでしょう。
生産だけに全力投球してきた農家に、自力販売の能力は皆無に等しい。稲穂は頭をたれるが農民は頭を下げない・・・・・それは経験不足と照れくささからかもしれない。
政府もその辺は先刻お見通しだったと思う。
写真は台風の影響で「塩害」に合った圃場の様子です。手前の草が緑なのに対して稲は「麦秋」の色に似ている。これも稲の開花期に台風の影響を受けて舞い上がった塩水が稲にかかり収穫皆無となってしまいました。
この年は早くから台風が日本に上陸して、特に日本海側の県に影響が大きく、農業共済組合の支払いを受けた農家も少なくない。一方で秋田県の八郎潟干拓地で、未加入農家もあり県は救済処置を行おうとしたが、長年共済金を支払ってきた農家の大反発を受けたこともあった。
災害は忘れた頃にやってくる・・・・の典型であるか?
保険は「もしものため」であることを、痛感させられた。

2008年10月18日

国道151号線

yama佐久間湖沿いに県道1号線を進むと旧富山村豊根村)に入る。右折すれば長野県天龍村となるが、県道番号は同じ1号線と全国でも珍しい3県とも同じ番号で繋がっている。佐久間湖と分かれて県道を左折して進むと山また山の殆ど車の通りもない道を進むことになる。過疎地の持つ財政難はここでも同じであろうが、庁舎はとても立派で、銀行の無い村と言うが、この中に銀行も郵便局も農協も同居すれば安全性も高く住民サービスの向上に最高と思うのだが、そんな発想は無知な小生以外しないのだろうか。
小一時間、ようやく宮島で遠州街道(国道151号線)に合流する。右折して阿南町に向かうと、途中大型車通行不可能箇所も有ったが近年通っていないので不明?隣の下条村は俳優の峰竜太の出身地で国道脇には大きくその旨をあらわす看板が迎えてくれるところがほほえましい。
迂回路の建設で、トンネルや橋梁の機材運搬で何回と無く訪れたので、工事の進展状況を見に寄り道をしたかったが、今回は時間の都合で割愛することにして左折した。
途中の湯谷温泉の看板には後ろ髪を惹かれる思いで前進・・・・・長篠交差点に到着。
国道151号線と国道257号線との一部重複地点で長篠の戦いで有名な地域である。
当時の戦は「国取り」を前提としていたわけで、この戦いで武田領から織田領後に徳川領となるとともに、天下に名声をはせた武田氏は勝頼を最後に宗家は滅亡し全国に現在の庶家が残ったとされている。
現在30万もの苗字が存在するが、その多くは「地名」からつけられているようである。武田氏武田八幡宮に因んだものと思われる。



2008年10月14日

佐久間ダム

sakuma私たちの生活に、水と電気は必要不可欠なものだと思う。その電気は、水力・火力・風力・太陽光・原子力・・・・・と、多くの動力を基にして作られている。その中でも、地球温暖化を考慮すると、火を使わないで多目的な要素を持つ水力発電は、維持費の点でも勝っていると思う。
つまり、治水と発電の利点があり世紀を超えて利用できる優れものである。
数ある水力発電所の中でも「佐久間ダム」は、長野県の諏訪湖を源流に、愛知県と静岡県の県境を流れる天竜川の左岸:静岡県浜松市天竜区佐久間町佐久間
右岸:愛知県北設楽郡豊根村大字古真立に作られている。
ダムは1953年(昭和28年)1月から1956年(昭和31年)10月完成までの、三年四ヶ月という短期間で完成している。当初最低でも10年は掛かると言われた工事は、何故こんなにも工期短縮できたのか?そこにはやはりアメリカの存在があった。
2007年度までノーベル賞受賞者777の個人の個人で、アメリカはダントツの二百数十人は日本の十六人とは桁違いの多さからも推測できよう。
つまり機械力です。ブルドーザーやダンプカー等の優れた建設機械を中古で輸入して、フル活動させたわけです。その様子は展示館でも確認する事ができます。アメリカの中古を使ったところは、いかなる発想なのか?公共事業なのだから新車でも問題は無いと思うのだが?????
用地買収から通水までの3年4ヶ月は、一日48時間くらいの勢いで人や金が動いた事でしょう。
国道152号線を佐久間町で国道473号に入りダムに向かうが、途中乗用車でも離合不可能な道路やトンネルを経由してダムに到着。ダム堤を渡ると愛知県道1号線で、ダム湖を右手に進むと人口218人の過疎地富山村(現豊根村)となる。この過疎の中で生活するにはそれなりのリスク覚悟でなければ「自然が大好き」と言っても、不可能である事は否めない。
次回は豊根村〜浜松市を走ります

2008年10月13日

瀬尻の段々茶園(セジリノダンダンチャエン)

sejiri10月の連休に国道152号線をドライブした。同国道は長野県上田市の国道18号線から静岡県浜松市東区の国道1号線に接続する、陸上距 : 248.4kmの「秋葉街道」なる郷愁を呼ぶ旧名もあり、秋にはピッタリの道行きであった。県境付近の青崩峠は通行不能でホイルベース8メートル未満の車両は兵越林道を迂回として利用できる。静岡県内の多くは、天竜川と並行して走り、一方を急な山他方を断崖の川に挟まれた、険しい山岳道路でもある。
それは写真の瀬尻の段々茶園(セジリノダンダンチャエン)を見てもうかがい知る事ができよう。急斜面を開墾して茶畑を作る作業は想像を絶するものがある。
所在地 〒431-3801 浜松市 天竜区龍山町瀬尻生島
水窪(ミサクボ)の歴史資料館に立ち寄ってみたが、山間地特有の林業に使う道具よりも、養蚕の糸車や機織機、蚕棚まであって見識を広められました。
人の生活に欠くことのできない「塩」を、太平洋側から運んで、山の幸を持ち帰る事を生業にしていた人たちにとっては大切な道路で、塩の道であったことがわかる。
地域は違っても、民具や農具の違いは殆どなく、道を通じて文化が日本中に伝達されていた事を理解できた。



2008年10月10日

値上げラッシュと安全神話

sigoto一日の締めくくりは「晩酌」だろうか。馴染みの店で飲むも良し、一人手酌酒も良し、仲間と賑やかに飲むも良し、飲み方にはいろいろあるでしょう。でも一人酒は侘しい・・・・・安い酒でも、せめて話し相手くらいは欲しいものである。
その安い酒も、最近の原油高で一割くらい値上げになって、庶民の喜びも手放しで喜べなくなっている。
しかも驚いた事に、愛飲の焼酎は事故米で問題になった原料を使った大分のメーカー品と分かったときには、二重のショックであった。
幸いにもその事故米は、焼酎には使っていない事が分かったものの、その公表を満額で受け取って良いものか?疑問は残っている。と言いつつも、休むことなく飲み続けている。
いつまで続くのか食品の不当表示と偽造。消費者に配慮した製造業者のモラルの向上を願う一人である。

40年以上の長寿番組 笑点

tenチャンチャカスチャチャカスッチャンチャン・・・のイントロで始まるのは、ご存知「笑点」である。メンバーは司会者と座布団運びを含めて8人。日本テレビ系列の40年も続く長寿バライティー番組なんです。初代司会者は初代 ■立川談志(1966年5月15日(第1回 - 1969年11月2日) →2代目 ■前田武彦(1969年11月9日 - 1970年12月13日) →3代目 ■→□三波伸介(1970年12月20日 - 1982年12月26日(第850回))→4代目 ■三遊亭圓楽(1983年1月9日(第851回) - 2006年5月14日(第2016回)→5代目■桂歌丸(2006年5月21日(第2017回) - 現在)となっているが、流石に初代の番組に記憶は無いものの、三波伸介さんの巨漢から繰り出すテンポの良い会話は小気味良かったのを覚えている。
・三遊亭 小遊三 明治大学経営学部卒業
・三遊亭楽太郎 青山学院大学法学部卒業
・林家たい平 武蔵野美術大学造形学部卒業
・春風亭 昇太 東海大学文学部(中退)
と、高学歴のメンバーの多いところも、センスのあるお笑いを繰り出すポイントでもあるのだろうか。通常の役者は若い頃からその道に入り、見よう見真似で「門前の小僧経を読む」の例えどおりかと思っていたが、思いを新たにさせられた。





2008年10月04日

時代劇の楽しみ方

kinテレビや映画の好みはそれぞれ個人差があると思う。団塊の世代としては「時代劇」は手放しで見て居れるドラマの一つである。その多くに共通するあらすじは「笑いと涙」つまり義理人情を描いているとおもう。笑いと涙の中に正義感を求める日本人的な発想は、いつ見ても楽しい。しかも最後の決まり文句は同番組内で変わることが無いことも、手放しで見れて一日の終わりにもってこいであり、晩酌をしながら中座しても流れが読めるところがうれしい。テレビでは14年全381回の長寿番組を確立したのは東野英治郎さん演じる「越後もちりめん問屋」こと水戸黄門の一件落着後に「かっかっかっ!」と笑う庶民的な感覚は印象深い。降板後は多くの俳優にバトンタッチされたが、現在は助さん役を演じた里見浩太朗さんが演じている。なじみ深いせいか親しみやすい番組と思う。他にも八代将軍徳川吉宗主人公の「暴れん坊将軍」放映回数は計831回は、大川橋蔵さんの「銭形平次」888回に次ぐ同一俳優の演じた第二位の長寿番組でもある。最近は再放送の「遠山の金さん」を見ている。山城新伍さんの出世作「白馬童子」は、テレビ時代劇の走り番組であったが再放送はされていない。番組の内容さえ忘れてしまった。
迷走する日本経済の救世主となる主役の登場を期待したいものである。

2008年01月30日

贅沢三昧

hana童謡「ゆき」では♪猫はコタツで丸くなる♪と、歌われているが、セントラルヒーティングやファンヒーターの普及で、猫も丸くなる場所を失いつつある。
「猫まんま」も、死語となってしまい、意味を理解できる人も少なくなっている。
猫まんま=汁かけ飯のことである。
低所得者の代表的な?食事を揶揄したものであるが、結構行ける食事だと思う。
冬の料理の代表的な物に鍋があるが、残りのスープにご飯を入れて食べれば、材料の凝縮された味のほとんどを堪能できる。
最近気が付いたのは、品質の悪いお米は、米の粒がなくなってしまう。つまりとろけて形がなくなるのです。
澱粉の形が違うのでしょうか?